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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)5074号 判決

原告 岡埜英二

被告 林幸助 外二名

主文

被告林幸助は原告に対し別紙〈省略〉第一物件目録記載の(一)の建物を収去し、(二)の土蔵から退去してその敷地である別紙第二物件目録記載の土地を明渡し、かつ、金八万二千二百七十一円五十銭及び昭和二十八年六月一日以降昭和二十九年三月三十一日まで一月金四千三百七十四円、同年四月一日以降右明渡済に至るまで一月金六千円の各割合による金員を支払え。

被告林勇吉及び同佐瀬浅次郎は原告に対し別紙第一物件目録記載の建物より退去してその敷地である別紙第二物件目録記載の土地を明渡せ。

訴訟費用は被告等の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決並びに仮執行の宣言を求めると申立て、その請求の原因として、東京都台東区浅草駒形二丁目五番地の二宅地百七十七坪四合五勺(以下本件土地という。)は原告の祖毋岡埜まさの所有であつたがまさは昭和二十一年三月六日公正証書により本件土地を原告に遺贈する旨の遺言をなし、同年四月三日死亡した。よつて原告は同日受遺者として本件土地の所有権を取得し、昭和二十七年十二月十七日所有権取得の登記をした。

本件土地のうち北側四十九坪六合六勺は以前から訴外大沢サンダル店に賃貸してあり、残地にはまさの夫亡岡埜栄蔵(原告の祖父)が住宅を所有していたが、昭和二十年三月十日戦災により焼失し、その後は空地となつており、その西北側に焼残つた煉瓦コンクリート塗平家建土蔵六坪(別紙第一物件目録の(二)の土蔵・以下単に土蔵という。)が存在していた。右土蔵はもはや土蔵の目的には使用し難い程度に罹災したものであり、課税上も焼失物件として取扱われ、本件土地の従物と目すべきものであつた。原告は本件土地の遺贈によりその所有権を取得した。

被告林幸助は終戦後間もなくまさに対し右土蔵及び焼跡の使用を申入れ、その承諾を得てこの土蔵に仮住し、後焼跡にバラツクを建てた。しかして右焼跡の土地使用に関しては、昭和二十一年二月二十六日まさと被告幸助との間に次の通り一時使用のための契約が成立した。

一、まさは右土地のうち、土蔵に近接した土地二十七坪二合(本件土地の中央部)を終戦後バラツク建築のため被告幸助に一時使用させること。

二、期間は昭和二十一年三月一日より昭和二十四年二月末日までの三年間とする。但し、右期間中でも区劃整理が施行されたときは、期間満了したものとして、地上のバラツクを取毀して右土地を明渡すこと。

三、一時使用料は一ケ月四十円八十銭とし、毎月末日払とすること。

被告幸助は昭和二十一年五月頃に土蔵に接して木造亜鉛葺平家建バラツク一棟建坪十二坪五合を建て、更にその後建増して現在は実測十八坪八合七勺となつている(別紙第一物件目録記載の(一)の建物・以下本件建物という。)。原告はまさの死亡により本件建物の敷地を含む本件土地(土蔵を含む。)の所有権を取得し被告幸助に対する貸主の地位を承継した。

次いで昭和二十三年一月頃原告は被告幸助の申出により右土地二十七坪二合に連る土地約二十三坪を同一目的で、かつ、従前の契約の残存期間に限り使用させることとし、併せて五十五坪の使用を承諾した。しかるに被告幸助は右の範囲を超え約六十坪(別紙第二物件目録記載の土地・以下建物敷地六十坪という。)を使用している。

しかして右契約による土地の一時使用期間は昭和二十四年二月末日を以て満了した。原告はその満了前及び満了後再三その明渡を求めたが被告幸助はこれに応ぜず、依然本件建物を所有し、土蔵より退去せずして建物敷地六十坪を不法に占有している。

また被告林勇吉、同佐藤浅次郎は、いずれも原告に対抗しうべき何等の権限がないのに右土蔵及び本件建物に居住して建物敷地六十坪を不法に占有している。

原告は被告幸助の建物敷地六十坪の不法占有により、その使用収益を妨げられ、昭和二十四年三月一日以降毎月統制賃料相当額の損害を被りつつある。

よつて原告は被告幸助に対し本件建物を収去し、土蔵より退去して建物敷地六十坪の明渡を求めるとともに統制賃料相当額である昭和二十四年三月一日より同年五月三十一日まで一月金二百三十二円九十銭、同年六月一日より昭和二十五年七月三十一日まで一月金四百八十六円、同年八月一日より昭和二十六年九月三十日まで一月金千五百九十七円二十銭、同年十月一日より昭和二十七年十一月三十日まで一月金二千九十円、同年十二月一日より昭和二十八年三月三十一日まで金三千九百六十円、同年四月一日より同年五月三十一日まで一月金四千三百七十四円の各割合による損害金合計金八万二千二百七十一円五十銭及び同年六月一日より昭和二十九年三月三十一日まで一月金四千三百七十四円、同年四月一日以降右明渡済まで一月金六千円の各割合による損害金の支払を求め、またその余の被告等に対しては本件建物及び土蔵から退去し、建物敷地六十坪の明渡を求めるため本訴に及ぶと述べ、

被告等主張の本案前の抗弁に対し、

一、抗弁一の事実中岡埜まさが昭和二十年三月十日の戦災により浦和市岸町一丁目八十番地岡埜寿美さん方に疎開し、昭和二十一年四月三日八十一才の高令で死亡するまで同人方に居住していたこと、まさが東京都浅草区浅草橋二丁目二番地の一兼藤良三郎方に居住したことがないのに同人方に寄留した旨を浅草区役所に届出でたこと、同区役所に印鑑を届出で、被告等主張のような印鑑証明書の交付を受け、これを遺言公正証書作成のため、公証人君ケ袋真胤に提出したこと及び右遺言公正証書のまさの肩書に被告等主張のような記載があり、また公証人君ケ袋真胤が嘱託人まさと面識がないため、印鑑証明書を提出させて人違なきことを証明させたことはいづれも認めるが、これに対する被告等主張の法律上の見解は争う。

右まさの肩書住所の記載は公正証書の嘱託人の住所の記載として欠くるところがないから、右遺言公正証書が無効となる筈がない。

公正証書作成に当つて提出する印鑑証明書は、公証人が嘱託人の氏名を知らず、面識もない場合において真実嘱託人本人の嘱託であるか否かを確認するための資料とするものであるが、まさの印鑑証明書はまさが東京都浅草区役所に届出でた真正の印鑑を同区長が証明したものであるから、たとえ印鑑の届出につき瑕疵があるとしても、公証人が嘱託人まさ本人の嘱託であることを確認する資料として十分な印鑑証明書であるといわなければならない。従つて公証人が右印鑑証明書を提出させて嘱託人まさの人違なきことの証明とした右遺言公正証書は有効である。

二、抗弁二の事実中土蔵がまさの遺言公正証書の遺贈物件として表示されていないことは認めるが、その余の事実は否認する。被告等主張の法律上の見解は争う。

仮に土蔵が独立の建物と見るべきものであるとしても、まさの遺言は原告をして岡埜家の再興に寄与してほしいとの念願に出でたものであるから、まさが本件土地上に焼残つた土蔵のみを遺贈の対象から除外したものとは常識上考えられないし、遺言者たるまさの右目的に添つて遺言公正証書を合理的に解釈すれば、土蔵も遺贈物件中に含まれるものと解されるから、土蔵は右遺言によつて原告の所有に帰したものといわなければならない。

と述べ、

被告等主張の本案に対する各抗弁事実を全部否認すると述べ、

予備的主張として

仮にまさの遺言公正証書が無効であるとしても、まさは昭和二十一年四月三日死亡した。当時まさの遺産相続人は原告のほか、訴外岡埜すみ、同岡埜涼一、同岡埜尋春、同福田泰及び同塩月房計六名であつたから本件土地及び土蔵は右相続人六名の共同相続財産であり、右六名の共有に属する。

従つて原告は本件土地及び土蔵の所有権について相続分に応ずる持分権を有している。しかるに被告幸助は一時使用のための契約が終了したにもかかわらず、依然本件建物を所有し、同建物及び土蔵に居住して建物敷地六十坪を不法に占有し、また被告林勇吉及び同佐瀬浅次郎は原告に対抗しうべき何等の権限がないにもかかわらず、本件建物及び土蔵に居住して建物敷地六十坪を不法に占有し、それぞれ原告の本件土地及び土蔵ついて有する持分権たる所有権を妨害しつつある。

よつて原告は右妨害を排除するため、被告幸助に対し本件建物を収去し、土蔵から退去してその建物敷地六十坪の明渡を、その余の被告等に対しては本件建物及び土蔵から退去して建物敷地六十坪の明渡を求めるとともに被告幸助に対しては、共有不動産の保存行為として同被告の不法占有によつて共有者が右土地六十坪の使用収益を妨げられて被りつつある前述の統制賃料相当額の損害金の支払を求めると述べた。〈立証省略〉

被告等訴訟代理人等は、本案前の判決として原告の請求を却下するとの判決を求め、本案判決として原告の請求を棄却するとの判決を求めた。

第一本案前の抗弁として

一  原告主張の岡埜まさの遺言公正証書は次の理由によつて公正証書として無効であるから、これによる遺言もその効力がない。

1  公証人法は、第三十六条において公正証書の要件として嘱託人の住所氏名及び年令を記載すべきものとし、第二条において同法の定める要件を具備しない公正証書は公正の公力を有しない旨を定めている。しかるにまさの右遺言公正証書によれば、嘱託人遺言者岡埜まさの肩書に「東京都浅草区浅草橋二丁目二番地の一兼藤良三郎方、当時浦和市岸町一丁目八十番地岡埜寿美方」と記載されており、これを通常の用語法に従つて解釈すれば、右兼藤良三郎方を住所とし、右岡埜寿美方を一時の滞在場所である居所として表示したものである。しかして寄留簿の記載によれば、まさは遺言公正証書作成の前日である昭和二十一年三月五日右兼藤良三郎方に寄留する旨の届出がなされているが、まさは昭和二十年三月十日の戦災により夫岡埜栄蔵の行方不明となるや、二女岡埜寿美方に移り住み、老病により遺言公正証書作成後一月に足りない昭和二十一年四月三日八十一才の高令で同所において死亡したものであつて、未だ曽て右兼藤良三郎方に住居を移して寄留したことはない。故に右公正証書は結局その要件である嘱託人の住所の記載なきに帰し、無効である。従つて無効の公正証書による遺言もその効力がない。

2  仮に右主張が容れられないとしても、およそ印鑑届は住所のある者がその住所を管轄する区役所に提出すべきものであつて、区役所もまた住所なき者の印鑑を受理することはできない。従つて区役所が誤つて住所のない者から受理した印鑑届に基いて印鑑証明書を発行したとしても、これは権限がなくして作成された証明書であるから、かかる印鑑証明書を提出させて嘱託人の人違なきことの証明とした公正証書は無効である。しかるにまさの遺言公正証書には作成者公証人君ケ袋真胤が嘱託人まさと面識がないため、印鑑証明書を提出させて人違なきことを証明させた旨の記載があるが、その証明に用いた印鑑証明書は前述のようにまさが兼藤良三郎方に寄留したことがないにもかかわらず、同人方に寄留した旨の届出をした上、東京都浅草区役所に印鑑届を出したので、同区役所は誤つてこれを受理し、その結果右印鑑届に基いて発行したものである。従つて右印鑑証明書は浅草区役所が権限なくして作成したものであることは明である。故にかかる印鑑証明書によつて嘱託人まさの人違なきことの証明とした右公正証書は無効である。従つて無効の公正証書による遺言は効力がない。

以上いづれの理由によつても原告は受遺者として本件土地の所有権を取得するいわれはない。しかしてまさの遺産相続人は原告のほか、岡埜真、岡埜篤、岡埜寿美、岡埜涼一、岡埜尋春、福田泰及び塩月房の七名であるから、本件土地の所有権は原告外七名の共同相続財産であり、原告外七名の共有に属し、原告は本件土地につき共有者の一人に過ぎず、単独には本件土地の管轄処分権を有しない。しかるに本訴は被告等に対し本件土地の所有権に基く建物収去土地明渡損害賠償を求めるものであり、被告等は後に述べるが如く被告林幸助が本件建物敷地六十坪につき賃借権を有することを主張して争うものであるから、被告等勝訴の場合には賃借権が存在することとなりその結果本件土地所有権の権能の一部を処分したことと同一の結果を生ずる。従つて本訴においては共同相続人全員が正当な原告たる適格を有し、管理処分権を有しない原告は単独では当事者適格を有しない。よつて原告の本訴請求は当事者適格を欠くものとして却下さるべきものである。

二  仮に右遺言公正証書が有効であるとしても、土蔵はまさの遺言公正証書の遺贈物件中に含まれてない。しかして土蔵は焼残であるが煉瓦を以て堅固に構築され、表面はコンクリート或はモルタルを以て十分塗り上げられたもので、ひびもなく、その内部には些の損傷もない。現状においても倉庫としてなお十分その機能を全うしうるものであり、僅少の修理によつて完全なものとなる程度の明に独立の建物である。決して廃品物視さるべきものでなく、また本件土地の従物又は一部とみなさるべきものではない。このことは現に被告等がこれを住居の一部として使用していることからも十分窺い知られるところである。故に原告は遺言によつて土蔵の所有権を取得する筈がない。土蔵はまさの相続人たる原告外七名の共同相続財産であり、共有に属する。従つて一において述べたと全く同一の理由によつて、原告の本訴中尠くとも土蔵に関する部分については原告は単独では当事者適格を有しない。故に原告の本訴請求中この部分に関する限り、当事者適格を欠くものとして却下さるべきである。

と述べ、

第二本案について

答弁として原告主張事実中本件土地が原告の祖毋岡埜まさの所有であつたこと、まさが昭和二十一年三月六日公正証書により本件土地を原告に遺贈する旨を遺言し、同年四月三日死亡したこと、原告が昭和二十七年十二月十七日本件土地所有権取得の登記をしたこと、本件土地にはまさの夫岡埜栄蔵が住宅を所有していたが、昭和二十年三月十日の戦災により焼失し、その焼跡が空地となつていて、その西北偶に原告主張の土蔵が焼残つて存在していたところ被告幸助が終戦後間もなく右土蔵に仮住し、昭和二十年十月頃土蔵に近接して原告主張のバラツク一棟建坪十二坪五合を建築所有し、次いで昭和二十一年三月建増してその建坪が十八坪八合七勺となり、本件土地のうち原告主張の土地約六十坪を占有使用していること、原告が被告幸助に対し昭和二十四年二月末日で一時使用のための契約期間が満了するとして、その満了前及びその満了後再三本件建物を収去し、土蔵より退去して建物敷地六十坪の明渡を求めたこと及びその余の被告等がいづれも本件建物及び土蔵に居住して建物敷地六十坪を占有していることは認める。まさが本件土地のうち、北側の土地四十九坪六合六勺を訴外大沢サンダル店に賃貸していたこと及び建物敷地六十坪の統制賃料額の点は不知、その余の事実は総べて否認する。まさの遺言は公正証書として無効であるため、遺言としての効力がなく、従つて原告は受遺者とし本件土地の所有権を取得するものでないこと及び遺言公正証書が有効であるとしても土蔵は遺贈物件中に含まれていないから、原告が受遺者としてその所有権を取得するものでないことは既に本案前の抗弁において説明した通りであると述べ、

抗弁として

仮にまさの遺言公正証書が有効であつて、昭和二十一年四月三日同人の死亡により原告が受遺者として本件土地の所有権を取得したとしても、

一  被告幸助は昭和二十九年頃まさから土蔵及び本件土地のうち原告主張の土地六十坪を堅固な建物以外の建物を建築する目的で期間を定めず賃借し、右賃借権に基いて土蔵を占有使用するとともに、右土地六十坪上に本件建物を建築所有するものであるから原告の本訴請求は失当である。

二  仮にその後被告幸助とまさとの間に原告主張のような一時使用のための契約がなされたとしても、これは契約当事者間に相通じなした虚偽の意思表示であるから無効である。即ち、被告幸助は昭和二十一年二月二十六日頃当時岡埜家の差配的業務をしていた訴外兼藤良三郎から、「仮設建築物整地一時使用に付差入証書」(甲第四号証。以下一時使用のための差入証書という。)という書面に署名捺印を求められたが、書面の内容が右賃貸借契約の内容と異るので、署名押印を拒絶したところ、訴外兼藤の話では、これは他人に対する手前があるから差入方を求めるのであつて、被告幸助とまさ間の賃貸借をこの証書に準拠して律するわけではなく、近く右契約内容に応ずる本証を作成し、その際この一時使用のための差入証書と取替えるからということであつたし、またまさ本人の話でも、本件土地は永く被告幸助に賃貸するのであるから、右一時使用のための差入証書は役には立てないということであつたので、被告幸助はこれを信用し署名捺印したにすぎない。従つて右証書差入によつて被告幸助とまさ間に原告主張のような内容の一時使用のための契約がなされたとしても、右は全くの仮装行為であるから無効である。

三  仮に右一時使用のための契約が仮装行為でないとしても、かかる一時使用のための契約は、契約条項が借地人にとつて著しく不利益であるから、無効の契約であるといわなければならない、

と述べた。〈立証省略〉

理由

一  東京都台東区浅草駒形(旧浅草区駒形)二丁目五番地の二宅地百七十七坪四合五勺(以下本件土地という。)が原告の祖毋岡埜まさの所有であつたこと及びまさが昭和二十一年三月六日公正証書により本件土地を原告に遺贈する旨の遺言をなし、同年四月三日死亡し、原告が本件土地につき昭和二十七年十二月十七日所有権取得の登記をしたことは当事者間に争がない。

二  よつて被告等主張の本案前の抗弁一の点を判断する。

先づ被告等はまさの遺言公正証書は公正証書の要件である嘱託人まさの住所の記載を欠くから無効であると主張する。そして遺言公正証書に嘱託人まさの肩書として「東京都浅草区浅草橋二丁目二番地の一兼藤良三郎方、当時浦和市岸町一丁目八十番地岡埜寿美方」と記載されてあること、まさが昭和二十年三月十日の戦災により岡埜寿美方に疎開し、昭和二十一年四月三日八十一才の高令をもつて死亡するまで右同人方に居住していたこと及びまさが同年三月五日東京都浅草区役所に対し右兼藤良三郎方に寄留した旨の届出をしたが、その実同人方に全然居住したことがないことは当事者間に争がない。しかしながら、公証人法第三十六条が公正証書に嘱託人の住所の記載を要求するゆえんは、畢竟その他の事項と相待つて嘱託人の同一性を確保しようとするものであるから、住所の記載が欠けていても他の記載によつて嘱託人の同一性を認識しうる以上その公正証書を無効であるということはできない。しかして成立に争のない甲第五号証の一に徴すれば、まさの遺言公正証書は旧民法第千六十九条(新民法第九百六十九条にあたる。)に規定する要件を完備していて嘱託人まさの同一性の認識に何等欠くるところがない。従つて仮にまさの右肩書地の表示を被告等主張のように解し、住所の記載を欠くものであるとなすも、まさの遺言公正証書の効力には全然関係がない。

次にまさの遺言公正証書においては、公証人はまさに印鑑証明書を提出させて人違なきことを証明させているが、右印鑑証明書は東京都浅草区役所が権限なくして作成したものであるから、かかる印鑑証明書によつて嘱託人の人違なきことを証明させた遺言公正証書は無効であると主張する。そして右遺言公正証書の作成に当つて公証人君ケ袋真胤が嘱託人まさと面識がないため印鑑証明書を提出させて人違なきことを証明させたこと及び右印鑑証明書は東京都浅草区長がその管轄内に住所を有しないまさの印鑑届に基いて作成したものであることは当事者間に争がない。しかしながら区長の行う印鑑の証明は単なる事実行為であつて、法律行為ではないから、印鑑証明書がたとえ権限外において作成されたものであつても有効無効の問題を生ずる余地は全然ない。しかして公証人が嘱託人の氏名を知らず、面識もない場合において、印鑑証明書を提出させるのは、公証人がこれによつて真実嘱託人本人の嘱託であるか否か、即ち、人違の有無を認識するためであるから、当該印鑑証明書にして人違なきことの認識について信憑力がある限り、これをもつてその証明とすることは毫も差支ないと解せられる。これを右浅草区長の印鑑証明書について見るに、被告等主張の如くこれをまさの寄留地の区長として作成したものであるとしても、浅草区長が区長として作成したものであり、その証明した印鑑はまさが自己の印鑑として届出でたまさの真実の印鑑であるから、その印鑑の届出に瑕疵があつても、人違のないことの認識についての信憑力においては欠くところはない。またこれをまさの遺言公正証書作成当時適用されていた公証人法旧第二十八条第二項の規定によりまさの本籍地の区長として作成したものであるとすれば、まさの本籍地が浅草区内にあることは成立に争のない甲第二号証及び同第五号証の二に徴して明白であるから、右印鑑証明書はまさの本籍地の浅草区長の作成した印鑑証明書として全く間然するところがない。従つていづれにしても公証人が右印鑑証明書によつて嘱託人まさの人違なきことを証明させたからといつて、まさの遺言公正証書が無効となるべき理由は全然ない。

以上によつて明かなようにまさの遺言公正証書が無効であるという被告等の主張は理由がないから、その無効を前提として原告の当事者適格を争う被告等の主張もまた成り立ちうる余地はない、従つて被告等主張の右抗弁は排斥を免ぬかれない。

三  しからば、原告はまさの死亡により受遺者として本件土地の所有権を取得したものであることは明白である。

四  次に本件土地のうち、北側約五十坪は以前から訴外大沢サンダル店に貸与してあつたことは証人兼藤良三郎の証言によつて明であり、その残地にまさの夫亡岡埜栄蔵(原告の祖父)が居宅を有していたが、昭和二十年三月十日戦災によつて焼失し、その後は空地となつていて、その西北偶に焼残の煉瓦コンクリート塗平家建土蔵一棟建坪六坪(別紙第一物件目録記載の(二)の土蔵以下土蔵という。)が存在していたこと及びまさの遺言公正証書には右土蔵が遺贈物件として記載されていないことは当事者間に争がない。

しかして右土蔵が独立の建物をなし、本件土地の一部又は従物と見られないことは、これに被告等が現に居住していること(当事者間に争がない。)自体に徴して明白である。

五  よつて被告等主張の本案前の抗弁二の点を判断する。

およそ遺言は、その文言のみに拘泥すべきではなく、遺言者の個人的事情、遺言者と受遺者との関係、遺言当時の状況等をも資料として遺言者の真意を探究し、その真意に添うように合理的に解釈すべきであるが、成立に争のない甲第二号証、同第五号証の一、同第八号証、証人兼藤良三郎、同岡埜すみの各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、岡埜栄蔵は本件土地及び同地上にもとあつた建物を岡埜家の家産として分割することなく相続人に譲る意思を持つていたが、原告の父岡埜茂作が栄蔵の長女の婿養子であつた関係で、まさの老後を心配し、本件土地及び建物とその他日本橋区、城東区に所有していた宅地とともに一時これをまさに遺贈しておいたものである。しかしてまさは本件土地上の居宅は戦災によつて焼失したが、もともと本件土地及びその地上の居宅はまさ夫婦がこれを先代より受継ぎ長く居住し来つたものであるから、浅草区「駒形の財産」として他の財産と区別して観念し、これを岡埜家を継ぐ同人の孫原告に(その余の宅地を同じく孫の岡埜涼一に)譲る意思を有していたし、そのことを二女岡埜すみにも洩していたこと及びまさは遺言についてかねて栄蔵時代より熟懇であり、栄蔵からまさに対する前記遺贈に際してはその証人でもあつた弁護士兼藤良三郎に相談して、原告に対しかねて思つていた通り本件土地を遺贈することになつたのであるが、右相談を受けた兼藤良三郎は、本件土地上に土蔵があつたが、これは焼残であり、当然本件宅地に従属するものであると思惟し、遺贈物件として本件土地を表示すれば特に土蔵を表示する必要はないと考えていたことを認めることができ右認定に反するいかなる証拠もない。以上の事実に徴すれば、遺言者まさの真意は、原告に対し本件土地のみを遺贈し、土蔵はこれを遺贈より除外することにあつたのではなく、まさ夫婦が先代より受継いだ駒形の財産は総べて原告に遺贈するにあつたことは疑の余地がなく、右土蔵が独立の建物であるか否かに関係なく、まさの主観としては焼残の土蔵は本件土地に従属するものと考えていたので、本件土地を遺贈すれば当然焼残の土蔵もこれに従属して遺贈されるという考のもとに、公証人に対して土蔵の点を口授しなかつたに過ぎないものと認めざるをえない。従つて右認定に反する被告等主張の抗弁二も採用する由がない。

六  しからば原告はまさの死亡により受遺者として土蔵の所有権を取得したものであることは明かである。

七  次に原告は、終戦後間もなく、岡埜栄蔵と懇意であつた被告幸助がまさに対し右土蔵と本件土地の使用を申出たので、まさはこれを承諾し、昭和二十一年二月二十六日右使用に関しまさと被告幸助との間に本件土地のうち土蔵に近接する土地二十七坪二合について一時使用のための契約が成立したと主張するに対し、被告等はこれを否認し、被告幸助はこれより先昭和二十年九月頃まさから土蔵及び本件土地のうち六十坪を期間の定めなく賃借したものであつて、仮に被告幸助が右一時使用のための契約をしたとしても、これは仮装行為であるから無効であると主張して抗争するから、この点を一括して審究するに、

成立に争のない甲第四号証、乙第三号証ないし同第五号証、同第八号証の一ないし三、証人兼藤良三郎、同岡埜すみの各証言及び原告、被告各本人尋問の結果を綜合すれば、原告の祖父栄蔵は終戦前長く居町の町会長をし、被告幸助はその下で副会長をしていた関係で、被告幸助は下僚として岡埜家に出入し、栄蔵とは勿論まさとも懇意の間柄であつたし、戦時食糧不足の頃には栄蔵のため献すところがあつた。ところが戦災によつて栄蔵は死亡し、本件土地は焼残の土蔵を残して空地となり、一方本件土地と道路を一つ距てた向側にあつた被告幸助が訴外西川清三郎の先代から賃借していた建物も焼失したので、被告幸助は小岩に疎開していた。しかして右焼残土蔵には岡埜家の道具類が入れてあつたところ、終戦後の混乱状態の下において盗難に逢うこともあつて、被告幸助はまさの求めにより昭和二十年暮頃右土蔵に仮住し、その保管の任に当つた。ついで被告幸助はまさに本件土地の使用方を申入れたので、懇意な被告幸助のことであり、被告が自認するようにその使用を承諾し、岡埜家の財産について常に相談していた兼藤良三郎に右使用について相談した。その結果当時この附近は区劃整理が予定されていたことをも考慮した上、昭和二十一年二月二十六日兼藤がまさの代理人として被告幸助との間に本件土地の中央部土蔵に近接する部分二十七坪二合を仮設建築たる木造バラツク建築の目的で、昭和二十一年三月一日より昭和二十四年二月末日までの三年間に限り、使用料一月金四十円八十銭、支払期日毎月末日の約束で被告幸助に使用させる。期間満了の場合及び右期間中でも区劃整理が施行され換地が決定したときは一時使用期間満了とみなし、バラツク建物その他の施設を取毀し、撤去し、右土地を明渡すこと及びこの土地は岡埜家の自家用地であるから、権利金を徴収せず、区劃整理まで一時的に使用することを承認するものであつて、借地法にいわゆる土地賃貸借ではないことを被告幸助において承認すること等を内容とする一時使用のための契約をしたことを認めるに十分であり、右認定に反する被告林幸助本人尋問の結果は信用し難く、その他被告提出援用にかかる全立証によるも右認定を覆えすに足りない。

しかして以上の認定の事実と既に前段において認定したようにまさが本件土地について特別の観念を持つていたこと、まさが当時八十才の高令であつたこと及びまさの承諾について書面その他の資料がないことを併せ考えるときは、まさが被告幸助の申出に対してなした本件土地使用の承諾は、決して被告等が主張するように本件土地に賃借権を設定し、永く被告幸助の占有によつて岡埜家の自家用地の使用が制限されることを認める趣旨のものではなく、極めて漠然たる単純な使用の承諾であつたと解するのが相当であり、しかもこの承諾は内容的にそれ自体として完結していたものではなく、これに引続いて右使用について兼藤良三郎と相談した結果、昭和二十一年二月二十六日まさの代理人兼藤良三郎と被告幸助との間においてなされた前記認定の一時使用のための契約において具体化され、はじめて内容的にも完結するに至つたものと認めるのが相当である。

もつとも被告林幸助本人の尋問の結果によつてその成立を認めうる乙第一号証によれば被告幸助が右一時使用のための契約成立前である昭和二十一年一月三十日に本件土地の焼跡片付のため金三千五百円を支出したことが認められるが、しかしこのことは右認定と何等矛盾するものではない。

また証人西川清三郎の証言の一部によれば、被告幸助は戦災当時自己の借家の焼跡及びその隣地の横山某の借地跡を所有者西川清三郎から賃借することとなつていたが、これを抛棄したことが認められる。しかしながら同証言によつて明なように右賃借権の抛棄は昭和二十三年頃になされたものであり(乙第七号証中右認定に反する部分は信用できない。)これと証人信耕喜一の証言の一部とを併せ考えると、右借地権の抛棄は、昭和二十年暮頃から昭和二十一年二月末頃までの間に行われたまさと被告幸助間の本件土地及び土蔵の使用に関する交渉経過に対し直接関係がないことが明である。

その他被告提出援用にかかる全立証によるも前記認定を覆えし被告等主張の如き賃貸借契約が成立したことを認めるに足りない。また被告等主張の仮装行為の抗弁も、被告林幸助本人尋問の結果を除いては、他にこれに副う証拠がなく、被告本人の供述は前段認定の一時使用のための契約成立の事情並びに証人兼藤良三郎の証言に照らして信用を置き難い。従つて被告等主張の右賃借権及び仮装行為の各抗弁は排斥を免ぬかれない。

また土蔵の使用についても、前段認定の事実に徴し、まさが岡埜家の道具類保管のために被告幸助に使用させたものと解するのが相当であり、右に反する被告林幸助本人尋問の結果は信用し難い。しかして、前段認定の如く、まさを代理して土地の一時使用のためにする契約をした兼藤良三郎が土蔵は本件土地に従属するものと考えていたことや、一時使用のために契約が被告幸助に対するまさの使用承諾の具体化である点に鑑み、他に信用のおける反証のない本件においては、右土地一時使用のための契約において、土蔵使用の期間を右土地使用期間と同一とすることについて当事者間に暗黙の合意がなされたものと推認するを相当する。

八  次に被告等は右一時使用のための契約は、その条項が賃借人に対し著しく不利益であるから、無効であると抗弁するが、前段認定の如く右一時使用のための契約は、仮設建築物設置のための一時使用のための契約であることは明白であつて、これにつき借地法第二条ないし第八条の適用がないから、右契約が無効となるべき理由がない。従つて被告等の右抗弁も採用するに由がない。

九  次に被告幸助が右土蔵に接して木造亜鉛葺平家建のバラツク一棟建坪十二坪五合を建築(昭和二十一年六月頃の建築にかかるものであることは成立に争のない乙第八号証の一ないし三によつて明かである。)所有し、その後建増して現在の建坪は実測十八坪八合七勺(別紙第一物件目録記載の(一)の建物。以下本件建物という。)であることは当事者間に争がなく、原告がまさの死亡により受遺者として本件土地及び土蔵の所有権を取得すると同時にまさの被告幸助に対する貸主の地位を承継したことは明白である。

しかして原告本人尋問の結果によれば、昭和二十三年頃原告は被告幸助の申入により、さきに一時使用のための契約によつて定められた二十七坪二合の土地に連なる土地二十三坪余につき右契約に定める使用期間の残存期間に限り、その使用を承諾したことが認められ、その後被告幸助において右合計約五十坪二合の土地を含む本件土地の中央部約六十坪の土地(別紙第二物件目録記載の土地。以下建物敷地六十坪という。)を占有使用していることは同被告の認めて争わないところである。

一〇  しからば被告幸助は右一時使用のための契約に定められた使用期間満了の日である昭和二十四年二月末日限り、右建物敷地六十坪及び土蔵を占有使用する権限を喪い、じ後地上の本件建物を収去し、土蔵より退去してその建物敷地六十坪を明渡す義務がある。

しかして原告が被告幸助に対し右一時使用期間満了前及び満了後において、再三右明渡を請求したことは同被告の認めて争はないところであるから、被告幸助は右期間満了の日の翌日である昭和二十四年三月一日以降尠くとも過失によつて不法に占有を継続することにより、原告の右土地に対する使用収益を妨げ、統制賃料相当の損害を原告に被むらしめつつあるものと認められる。従つて被告幸助は原告に対し右損害の賠償義務があるところ、成立に争のない甲第七号証及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、本件土地の昭和二十五年度までの賃貸価格は金二千八百三十九円二十銭、昭和二十六年度の固定資産課税台帳登録価格は金二百八十一万八百円、昭和二十七年度の同登録価格は金三百九十万三千九百円、昭和二十八年度の同登録価格は金四百二十九万四千二百九十円、昭和二十九年度の同登録価格は金五百九十二万五千五十五円であることが認められるので、これを基礎として法定の計算を行えば、認可統制賃料相当額は原告主張の通りとなることは明である。しからば被告幸助は原告に対し金八万二千二百七十一円五十銭及び昭和二十八年六月一日以降昭和二十九年三月三十一日まで一月金四千三百七十四円、同年四月一日以降右土地明渡済に至るまで一月金六千円の各割合による損害金を支払うべき義務がある。

一一  次に被告林勇吉及び同佐瀬浅次郎が現に土蔵及び本件建物に居住して建物敷地六十坪を占有していないことは同被告等の認めて争わないところであり、同被告等の占有は、尠くとも被告幸助が右土蔵及び建物敷地六十坪に対する占有使用の権限を喪つた日以降においては不法であることは明であるから、同被告等も原告に対し本件建物及び土蔵から退去してその敷地六十坪を明渡すべき義務がある。

一二  しからば被告林幸助に対し本件建物を収去し、土蔵から退去してその敷地六十坪の明渡及び前記損害金の支払、被告林勇吉及び同佐瀬浅次郎に対し本件建物及び土蔵から退去してその敷地六十坪の明渡を求める原告の本訴請求は、その余の原告の主張を判断するまでもなく、全部その理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条を適用し主文の如く判決した。

なお、事情相当ならずと認め、仮執行の宣言をしない。

(裁判官 守田直)

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